Director’s Eye

プロが考える映像作品の作り方

ルールとマナー

黒澤明監督は、背景に邪魔な建物があったら、それが一般の民家であろうと壊させた、また、雲の形が気にいらない、と撮影を何日も延期した、などの逸話が残っています。

もちろん、そんなことは我々には到底許されません。

しかし、それでも、理想の映像を撮るためには、時には何かを壊したり、壊すとまではいかなくても撤去したりすることはよくあります。

そんな時考えたい、「ルールとマナー」の話です。

と、こんな書き出しで下書きをはじめ、はや数か月が経過しています。

お久しぶりです。

そして、あけましておめでとうございます。

フリーのディレクターという職業はとにかく不安定です。全ての仕事がひと段落し、ぽっかりと暇になることがあります。1,2週間ぐらいではそれほど焦ることはありませんが、こと1月近く暇な時間があるとさすがに焦ります。営業の電話をかけてみたり、グラウドワークスをのぞいてみたりしますが、せっかくだから、この機会に、とブログを立ち上げてみたりもするのです。

かねてより構想を持っていた、この「Director's Eye」も、まさにそんな感じで立ち上げました。

ところが、そうこうするうちに幸いにもいくつか仕事のオファーがあり、ブログ更新どころではなくなった、というのが、この長い放置期間の理由です。

原則としてオファーを頂いた仕事はすべて引き受けるため、時には数本の仕事を同時進行することにもなります。ここ数か月はそんな状態で、なし崩し的に年末進行を乗り越え今に至ります。

と、更新が滞った言い訳はこれぐらいにして、本題を進めます。

 「ルール」と「マナー」

 風景を撮影していて道端のゴミが気になったことありますよね。そんな時はちょっと行ってゴミを拾うぐらいのことはできます。

では、景観を損ねる立て看板の場合はどうでしょうか?

結論から言えば、私の場合、抜けるものならぬきます。そして撮影後は速やかに元に戻します。その看板の所有者がすぐに連絡を取れる状態であれば許可を得て一時的に撤去するかもしれません。

もちろん、交通標識などの公共性の高いもの、危険が伴うような場合は抜きませんが、それにしても、非難を免れることはないでしょう。そして、今の時代、「どこそこの撮影班が看板を勝手に撤去していた」等という情報はすぐさまツイッターで流れる危険性もあります。

非難されて当然だといえます。社会のルールを破っているわけですから。

しかし、いい映像を撮影するためには多少のルールぐらいは破るのが我々のような人種でもあります。

昔、私が駆け出しのADだったころ、あるプロデューサーに言われたことがあります。

それは、「ルールは破ってもマナーは守れ」ということです。もちろん、ルールだって守るに越したことはありません。しかし、自分の「こんな映像を撮りたい」という欲求に従うにあたって、社会のルールを破ることが必要になる場合は少なからずあります。

立て看板の話であれば、それを無許可で抜くのはルール違反だけど、仕方がない、しかし、破損させたり、元に戻さないのはマナー違反、ということになります。

マナーとは、簡単に言えば、第3者を不快にさせないということです。

 「マスゴミ

 昨今、ネット上では、マスコミを揶揄した、マスゴミという言葉をよく目にします。

この言葉を目にするにつけ、少し複雑な気分になります。

本来の意味では、私が携わる企業VPや広告映像も「マスコミ」の一種と言えます。

マスコミュニケーション - Wikipedia

ただし、「マスゴミ」と揶揄されているのは主にジャーナリズム、ニュースの分野に当たるのではないでしょうか。20年以上映像業界で働いていますが、私が「マスコミ」という自覚を持っていたのは、ニュースの現場にいたわずかな期間でしかありません。

ですので、ネットで「マスゴミ」と十把一絡げで語られることには「一緒にされても困る」と感じずにはいられません。

しかし、一方で、プロ用のカメラ機材を持って撮影している人を見てそれがニュースか企業VPか、あるいは別の何かか区別できる、一般の方などほとんどいないのも事実でしょう。つまり、「マスゴミ」と言われたら、それは職業的に撮影しているすべての映像業界人が含まれるといっても過言ではありません。

「マナーとは第3者を不快にさせないということ」と書きましたが、公道を占拠し我が物顔にカメラを構える姿は、ともすればそれだけで無関係な他者を不快にさせてしまいがちです。だからこそ、より腰を低く、「申し訳ありません、ご迷惑おかけします」という態度でいるべきだといえます。

 「ルール」とは明文化された、正解不正解がはっきりしたもののはずです。しかし、すべての人がすべての法律や条例を理解し把握しているわけではありません。誰しも時には誤って、時には無知ゆえに、ルールを破ることはありえます。

我々日本人は、そのような軽微な他人の誤り大げさに非難することはしません。時にやんわりと注意するにとどめ、多くの場合は寛容に接します。

また、「ルール違反」は罪に問われますが、罰を受けることによって許されます。一方、「マナー違反」は場合によっては人格を非難され、その払拭は並大抵ではありません。

このように、「マスコミ」が「マスゴミ」と揶揄される背景には、ジャーナリズムの特権意識が招いたマナー意識の欠如があるのではないかと私は思っています。

まとめ

くれぐれも強調しておきますが、ルールを破ることは良くないことです。ルールは守るに越したことはありません。

ここでの主張は、「マナー違反」は時として「ルール違反」よりも深刻で致命的な結果をもたらすことがあるということです。

マナーを守ることを忘れなければ、撮影現場でのトラブルの多くは避けられるのではないでしょうか。