Director’s Eye

プロが考える映像作品の作り方

映像業界のヒエラルキー の考察

 一口に映像業界と言っても制作分野は様々で、その内容によって細かく棲み分けがなされています。しかも、単なる棲み分けではなく、目に見えないヒエラルキーも存在しています。

「映像作品の作り方」というブログのメインテーマから少し離れますが、映像作品で飯を食っていくにあたって日ごろ感じていることを含めた与太話としてお読みください。

最上位 映画

ヒエラルキーの最上位に位置するのが映画です。日本語では「映画監督」は決して「ディレクター」とは言いません。「助監督」も「AD」と言われることはありません。プロデューサーはプロデュサーなのに。

映画の中でも、芸術映画、プログラムピクチャー、ピンク映画など様々な分野があってヒエラルキーは存在しますが、とにかく、映画はえらいのです。

上層 CM・TVドラマ

映画の次に位置するのが、CMTVドラマです。映画監督がCMやドラマを作ることも多々あります。

映画を含めたここまでの3つに共通するのがフィルムを使っていた時代が長いことです。

ドラマ以外のテレビ番組もかつてはフィルムを使用していた時期はあるのですが、ビデオ機器が普及する以前のテレビは主に生中継でした。ニュースやバラエティー番組は生中継からビデオ収録へと変遷していきます。

テレビ業界で働く古株のカメラマンの中には、今でも映画のことを「本編」という言う人もいます。つまり、彼らはビデオ撮影で飯を食ってはいるけども、フィルムで撮影する映画が本職だ、と思っているのでしょう。

中層 テレビ番組・企業ビデオ等

中層位にはバラエティーやニュース、ドキュメンタリー等のテレビ番組そして展示映像を含む企業VPやミュージックビデオ、オリジナルDVD(教則やイメージDVD)などのビデオ業界がほぼ横並びであります。

このなかの序列については、人によって意見が分かれるところでしょう。

実際のところ、同じ機材を使っているだけで、バラエティー番組と企業映像では方法論が全く違います。ミュージックビデオとニュース番組も全く別物。

一方で、ニュース番組とドキュメンタリー番組には親和性があります。

そして、企業VPはドキュメンタリー番組と同様の手法を使うことがあります。

ミュージックビデオとバラエティー番組は手法も方法論も全く異なりますが、出演者が共通することが多く、コネクションがあります。

まあ、なんやかんやで、得意分野は制作会社ごとにあるんだけど、だからと言ってそれ以外をやらないわけではない、という感じです。 

ちなみに、ミュージックビデオ専門のディレクターからは映画監督へ転身する紀里谷何たらなどの著名な人も稀にいます。作品自体の評価についてはまた別の話ですが。

と、この辺りに関してはまた別で書きたいと思いますが、ともあれ、映像業界内のヒエラルキーとしては、バラエティーやニュース、ドキュメンタリー等のテレビ番組、そして企業映像やミュージックビデオなどのビデオ業界は、横並びと言っていいように思います。

下層 ウエディング映像・街のビデオ屋

さらに下の層にウエディング映像があります。披露宴で流したり、結婚式の記録映像を撮影したりする業態です。普段はテレビをやってるけど、暇なときにバイトでウエディングを撮影する、というカメラマンやディレクターも少なくありません。

街の写真館、写真スタジオが行う映像撮影・編集サービスがあります。近隣の小学校の運動会を撮影したり、町内のお祭りの記録映像を作ったりしています。

個人顧客、もしくは地域限定の小規模顧客を対象としていることから映像業界内のヒエラルキーはウエディングと同列に見なされます。

最下層 アダルトビデオ

映像業界の最下層にあるのが、AV、アダルトビデオ業界です。バイトでアダルトに首を突っ込むというカメラマンやディレクターもいますが、こっそり絶対にばれないようにやります。AVをやっているとばれたら企業VPの仕事は来なくなります。

私の個人的な見解では、AVも映像表現の1つとして立派な仕事だとは思いますが、軸足が企業映像にある限り、かかわることはないでしょう。

番外

最近はYoutuberという職業が認知されてきました。しかし、今のところ、既存の映像業界人は誰一人として、Youtuberを映像業界の一員とは思っていないんじゃないでしょうか。むしろ、一種のタレントとしてみていると思います。映像制作者として共感するところはないが、タレントとして一緒に仕事をするにあたって抵抗はないように思います。

ヒエラルキーを考えること

長年、映像業界で仕事をしていると、上記のようなヒエラルキーの存在を感じることは少なくありません。

そんな折、ある仕事の現場で、次のような経験をしました。

その仕事は、プレイステーション2のゲーム中の実写映像でした。ゲームの中の映像は、ゲームの進行による細かい分岐にあわせて、とにかく大量のパーツを撮影していきます。

制作会社が普段CMを作っているところで、技術スタッフもカメラマン初め、VE(ビデオエンジニア)、照明さん皆CM畑の方たちでした。

CMというのは、通常、(もちろん、モノにはよりますが)30秒の作品を1日2日かけてじっくり撮影します。それだけ予算も潤沢で、ワンカットごとのクオリティーも求められているといえます。

そういった背景もあり、初めて仕事をしたカメラマンが、撮影も中盤に差し掛かったころ、私に向かって言った一言があります。

それは、特別な言葉ではなく、「むちゃくちゃ速いですね」という感想でした。

私自身は普段の仕事のペースで演出し、撮影し、OKを出していたのですが、カメラマンからすれば、普段のCM撮影とは全くペースが違ったのでしょう。

CMと企業映像、同じ映像業界で、同じ機材を使い、同じスタジオで、同じようなセット組んで、同じようなタレントを撮影していても、演出の方法論は全く異なっているということに改めて気づかされる一言であり、経験でした。

何が言いたいか、というと、映像業界内のヒエラルキーなんて考えることに意味はない、ということです。

まとめ

確かにヒエラルキーの存在を感じることはあります。が、つまるところ、それは作品の予算規模や収入格差だけの問題であり、「映像作品」としての価値につけられたヒエラルキーではありません

「映像作品」の価値は相対的なものに過ぎません。

ある視聴者には、制作者の自己満足のくだらない映画よりも、お気に入りの女優が出演するアダルトビデオの方が見るに値する「映像作品」でしょう。また、ある商品を宣伝するにはCMよりも店頭で流すプロモーションビデオの方が効率がいい場合もあります。

子供の運動会の記録映像も、全国ロードショーの映画も、届けるべき人に届けた時、初めて意味ある作品となるのです。

そんなことを考えながら、自分の仕事に誇りをもって作ることが大切なのではないでしょうか。予算規模や収入の格差は悔しいしうらやましいですけどね。